宮崎市 浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺


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 ■浄土真宗葬儀の心得 パート5 <「安楽寺報より」>


「友引」の日に葬式?
 友引の日を避けて葬儀を行う方が多いようですが、それはまったく根拠のない迷信です。
そういう迷信には振り回されず、遺族が見送りたいスケジュールで葬儀の日取りは決めて下さい。
 友引とは、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口という中国の六曜暦の一つが友引なんですが、旧暦の一月と七月の一日は先勝から始まる、二月と八月は友引、三月と九月は先負、四月と十月は仏滅、五月と十一月は大安、六月と十二月は赤口から始まるというのが六曜暦です。
現代の七曜暦と同じく、日曜や月曜というのと同じです。
 そして、友引というのは本当は「共引」といって「共に引き合って勝負なし」すなわち「良くも悪くもない」という意味でした。
それを「友を引く」という言葉尻だけで「その日に葬式をすると死者が友を引っぱり、さらに死人が出る」と解釈するのは、死者に対する冒涜(ぼうとく)であり失礼なことです。
友引というだけで葬式を1日早めて一晩だけしか通夜ができなかった、というのでは大変寂しい限りです。
また、1日送らせても通夜の日が友引になる訳で、「友を引く」という考えがあれば、通夜に弔問した人にとっては「友を引く」ことにならないでしょうか?
 何も根拠のない迷信に振り回されるよりも、しっかりと主体性をもって葬儀は行っていただきたいものです。



<誤って使われている葬儀での言葉>

浄土真宗のみ教えは「阿弥陀如来より賜る信心一つで、死と同時にお浄土に生まれ、仏さまとならさせていただく」という教えです。
従って、葬儀もこの教えに即して行われることは言うまでもありません。
故人はすでにお浄土に参られ、み仏となって私たちにはたらきかけて下さっているのです。
今、葬儀で弔辞や弔電や言葉のやり取りを聞いていますと、とても残念な誤った言葉使いをされているケースが多々あります。
 例えば、「ご冥福をお祈りします」。「冥」とは「迷」のこと。
しかも「暗い迷いの世界」を意味します。暗い迷いの世界に福(しあわせ)はあるのでしょうか。
むしろ、暗い迷いの世界というのは私の生きるこの娑婆世界のことであり、故人はお浄土よりこの娑婆世界に向けておはたらきを与えて下さるのです。
 次に、「天国で安らかにお眠り下さい」。キリスト教で死語の世界を「天国」と表現され、それが盛んに使用されていますが、仏教とキリスト教では死後の世界の解釈も違います。
キリスト教の「天国」とは、聖書によると天国に行き神の僕となり、この世(現世)には戻って来ないことを意味します。
それに対して浄土真宗では「浄土」とは、仏と全く同じ身となり(弥陀同体)、この世に戻って生きとし生ける者を常に救済する(還相回向:げんそうえこう)のが浄土でのはたらきとします。
ですから、「浄土」とは「極楽浄土」「安楽浄土」と言われるように安らかな場所ではあるのですが、決して眠ったり休んだりするのではなく、いつもいつもどこまでもどこまでも休むことなく活発に私たちにはたらきを与え続けて下さるのが仏さまのはたらきであり浄土なのです。
 これらの不適切な言葉によって、私たちが真実のみ教えを頂くことを阻害してしまっています。
下記に不適切な言葉の一覧を並べてみました。是非とも葬儀では適切な言葉を使用して下さい。
(住職筆)


<葬儀で注意する言葉>
不適切な言葉 適切な言葉
戒名(かいみょう)
霊、みたま
御霊前
天国、黄泉、冥土
草葉の蔭で
永眠する、昇天する
安らかにお眠りください
冥福を祈る
祈る・黙祷
回向をたまわる
追善供養
告別式
→ 法名
→ 故人
→ 御仏前
→ 浄土、み仏の国
→ お浄土で
→ 浄土に往生する
→ 私たちをお導きください
→ 哀悼の意を表す、謹んでお念仏申す
→ 念ずる
→ 読経、お勤めいただく
→ 追悼法要
→ 葬儀


引用・参考文献
「仏事のイロハ」(末本弘然著)
「門徒もの知り帳」(野々村智剣)
「知っておきたい浄土真宗」(福岡教区基幹運動推進委員会)









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