宮崎市 浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺
安楽寺(宮崎)


  照光山 安楽寺 門信徒
 ■仏事の心得 七ヶ条
1.
お念仏の道を歩むものは、私中心のものの見方ではなく、仏さま中心のものの見方の人生を歩みます。日常の仏事も仏さま中心の仏事を行います。
「正しい見方」
T人間のものさしは損か得か、仏さまのものさしは嘘か真実かU仏さま中心のものの見方というのは、自分と相手を区別しない、自分と相手とに境をつくらない在り方です。そこに心の足腰のしっかりとした人生が生まれます。

1.
お念仏の道を歩むものは、常に手を合わす合掌の日暮らしを営み、仏さまの温もりを合掌の中に感じ取っていきます。
「合掌」
怒り腹立つ時も、欲にかられている時も、悲しく寂しい時も、合掌していると自然と心が落ち着いていきます。それこそ仏さまのおはたらきです。

1.
お念仏の道を歩むものは、何事にも報恩感謝の心をもち、「南無阿弥陀仏」とお念仏のこぼれてくる日暮らしをします。
「お念仏」
T我れ称え我れ聞くなれど南無阿弥陀、連れて帰るの親の呼び声U「南無阿弥陀仏」とお念仏を申す時が、仏さまのおはらたきが私の中でははたらいてくださっている証です。

1.
お念仏の道を歩むものは、家庭においてはご本尊さま中心の日暮らしをします。
「ご本尊」
浄土真宗は位牌を拝むことはしません。ご本尊(阿弥陀如来・脱無阿弥陀仏)を拝みます。そして、朝晩ご本尊にいつも合掌し、我が身を振り返る日暮らしをします。

1.
お念仏の道を歩むものは、常にお寺参りを心がけ、仏法聴聞に励みます。
「仏法聴聞」
仏法をお聞かせいただく(聴聞)には「明日」ということはありません。常に、いま、ここに、日頃から繰り返し聞かせてもらうものです。そして、頭(理屈)で聞くのではなく、我が身全体で毛穴からすいとられるように仏法を聞かせてもらいましょう。お寺に足を運ばれ仏法聴聞に勤しみたいものです。

1.
お念仏の道を歩むものは、迷信や俗信には振り回されない日暮らしをします。
「迷信・俗信からの脱却」
浄土真宗の門信徒は現世祈祷に頼ることはしません。また、日の良し悪しや誤った根拠に基づく迷信や俗信にも振り回されることはしません。これらはすべて身勝手な自分中心のものの見方によるものであって、迷いの人生に陥るもとでもあります。

1.
お念仏の道を歩むものは、亡き故人を穢れた存在としては決してとらえません。私を真実の道へと歩むよう見守ってくださる仏さまとして敬います。
「供養」
故人を弔うことにより、この私自身が「仏になるべき身」へと養われていくのが本当の「供養」です。最愛の故人を清め塩などで「穢れ」の存在と蔑ろにするような行いを決してすべきではありません。

平成24年10月26日 安楽寺三大法要時 制定










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