宮崎市 浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺


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 ■浄土真宗って?


お釈迦さまは、煩悩に充ち満ちた迷いの世界を離れ、悟りの道に到る道を示されるため、その人その人の人格・境遇に応じて、数多くの教えを説かれました。親鸞聖人は、そのお釈迦さまが説かれた数多くの経典の中でも『仏説無量寿経』を一番の拠り所の経典とされ、阿弥陀如来さまの願力(本願)によっていかなる者も救われる、というお示しをされました。
 浄土真宗とは、「往生浄土の真実の宗旨」という意味です。浄土真宗本願寺派の『教義』には「南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、必ず仏にならせていただく身のしあわせを喜び、つねに報恩のおもいから、世のため人のために生きる」と私たちの人生の指針が示されています。
            
→もっと浄土真宗のことを知りたい方は
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 ■お経って?


私たち人間というのは、つねに他人のことが気になり、自分と他人とを常にくらべながらそれによって一喜一憂しています。
しかしそれが欲や怒り・腹立ちと苦しみが起こっていく訳です。
 そういう私に仏様は「任せよ、お前を救うぞ! 真実に目覚めておくれよ!」といついかなるときも願いをかけてくださっているのです。
 その願いが表されたのが「お経」です。お経は「八万四千の法門」といわれるように様々な種類があります。私たちの苦しみは、人によっても、一人の人によっても多種多様な苦しみが発生します。お釈迦さまは、それぞれの苦しみによってそれぞれの解決の道をお説きになられました。それを後のお釈迦さまのお弟子方が「お釈迦さまが仏の教えをこう説かれたよ」という形で様々なお経が出来上がってきました。
 ですから、お経は私たちがこの娑婆世界で生きていく上で非常に大切なものであるのです。お経の教えをなおざりにするならば、いつまでたっても苦しみの人生から逃れることは出来ません。
 お経とは、「sutra」(スートラ)の訳で、音写では、修多羅(しゅたら)と表します。修多羅は「たて糸」のことで「教えの基本線」という意味です。
 さて、お経というと何やら難しい漢字ばかりで読んでいても呪文のようでまったく意味がわからない、と感じる方も多いでしょう。それは、文字ばかりの解釈にとらわれすぎて頭での解釈に終わっているからです。
 「お経は心で読め!」と言われた先人がいます。単なるお経の読解ではなく、そのお経の「おこころ」を味わっていくことが大切です。それは日々の仏法の聴聞(ちょうもん)の繰り返しで味わっていくしかありません。聴聞の積み重ねにより、お経に語られている仏さまのはたらきを味わえるでしょう。大切なことは、お経は仏さまのはたらきそのものであるということです。
 いいうことで、仏教はあくまで、真実に基づいて苦を解決していく教えであって、自分たちの思いを実現させる教えではありません。            








浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺
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