宮崎市 浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺


トップ > 葬儀

 ■浄土真宗葬儀の心得 パート4 <「安楽寺報より」>


迷信・俗信にとらわれない葬儀を!
葬儀に寄せてもらうと、迷信や俗信にとらわれすぎて、大変残念な形で故人をお見送りしているケースが時々あります。
先ずは皆さんに7つ質問をします。身近な人の葬儀に際し、以下の事例の時、あなたはどう対応しますか?イエスかノーでお答え下さい。

1)故人に供える『一膳飯』に箸は立てない。
2) 出棺の時に故人が愛用していた茶碗等は割らない。
3)故人が出棺する際に身に着ける着物は故人が生前愛用していた服を着せる。死装束は着せない。
4)棺の中には『六文銭』や『守り刀』や人形などは入れない。
5)棺を三度回して出棺したり、火葬場への行きと帰りを別の道を通ったりはしない。
6)『友引』の日でも葬式はする。
7)『清め塩』はまかない。

さて、如何でしょうか?7つ全てイエスだった方は迷信俗信にとらわれず、故人に想いのこもった葬儀を出されているお方です。もっと言えば、@の『一膳飯』は浄土真宗では本来は供えません。“『一膳飯』は不要です。逆にご本尊さま(阿弥陀如来・南無阿弥陀仏)の前に『お仏飯』を供えます”という答えならまさしく正式な浄土真宗の作法であります。
 逆に、この7つの項目の一つでも二つでもノーの答えがあった方は、やはり迷信や俗信にとらわれているお方です。

 迷信・俗信は、生前は最愛の大切な人として慕ってきた故人に対して、死んだとたんに穢れた存在として忌み嫌い、自分から排除してしまおうとする大変悲しく残念な考えです。
 亡き故人は死んだ後も、お浄土より私たちに励ましや支えの力を与え続けてくださる大切なお方です。そして、そのおはたらきは私が掌を合すところに温もりとなって伝わってくるのです。
 そういう故人のお浄土へのお見送りに際し、私たちは親しみや温もりのある葬儀としたいものです。

1)については、ご飯に箸を立てるのは大変見苦しいものです。あなたが箸が突き刺さったご飯を出されたらどう思われますか?故人に対して想いがある人なら箸を立てて供えることはしないはずですが・・・。   もしどうしてもご飯を供えたい、という方は箸は横に寝かせてお供え下さい。その時は、決してご飯が固くなるまで置きっぱなしにしないで下さい。

2)については、故人愛用の茶碗を割るというのは故人に対して大変失礼なことをしているということです。

3)は、浄土真宗では死装束は着せません。本来は生前愛用していた服を着せますが、愛用していた服を残しておきたい、子どもや縁者に譲りたい、というのであればそれも想いがこもっていて大切にしてほしいお考えです。その際は普段着慣れた服で結構です。
 ご遺体には、できるだけ合掌をしてお念珠をかけるようにして下さい。よくお寺に通われ『門徒式章』(「安楽寺報」の前回号7頁参照)をお持ちの故人はその式章を掛けてあげるとよろしいでしょう。

4)は、故人がお浄土に向うのに『六文銭』や『守り刀』や人形などは一切必要ありません。

5)は、棺を回す、火葬場に別な道をというのは、故人がこの世に戻ってこないようにという迷信です。先に説明のように、故人はこれからも姿・形は見えなくても私たちをそばで見守り支え続けてくれるお方です。普通に出棺して、普通に火葬場を行き帰りするのが当然です。

6)の『友引』というのは中国の六曜の暦から派生したもので仏教の教えに全く関係するものではありません。友引・仏滅・大安などは全く気にされずに葬儀を行って下さい。
『友引』の詳しいことは次号で説明します。

7)は「安楽寺報」の前回号で説明した通りです。『清め塩は置かない・配らない』が浄土真宗としての正しい作法です。

 他にも地域により迷信・俗信にとらわれた習慣がありますが、大切なことは「故人を穢れの対象とせずに、親しみをもって見送ること」「故人はこれからも私を支え続けてくださる存在であること」を念頭に葬儀を行い、葬儀に参列していただきたいと願います。
 次号は、『友引』のこと、そして、浄土真宗の葬儀で誤った言葉(「天国」「冥途・冥界」「黄泉の国」「安らかにお眠り下さい」など)がよく弔辞や弔電で使われていますので、そのことを正しい言葉使いとともに、心のこもった弔辞・弔電について説明致します。
(住職筆)









浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺
〒880-0805 宮崎市橘通東1丁目7-25 電話:0985-22-5341