宮崎市 浄土真宗本願寺派 照光山 安楽寺


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 ■浄土真宗葬儀の心得 パート2 <「安楽寺報より」>


 最近、葬儀や法事、仏前作法などに関する問い合わせを受けることが多くなりました。核家族や都市型の生活スタイルが広がってきたため、祖父母や親から代々受け継がれていくべきことが次第に薄れてきていることが一番の原因と考えられます。また、たくさんの宗教宗派があり、それぞれ作法などが違っていることから、一体どれが本当なのだろうという気にもさせられているようです。
 お寺に尋ねてくださると良いのですが、根拠不明な周囲の言葉に振り回されたり、いたずらに迷信・俗信に惑わされ、「意義のない形だけの葬儀をだしてしまった」と後悔されるようなケースも結構多いようです。
 浄土真宗本願寺派(通称:西本願寺)では、「葬儀は、人生最大の大切な別離の儀式であるから、厳粛に執行すべきである。葬儀は、故人に対する追善回向の仏事や、単なる告別式ではなく、遺族・知人があいつどい、故人を追憶しながら、人生無常のことわりを聞法して、仏縁を深める報謝の仏事である。」と示されています。
 私たち浄土真宗の門徒は、葬儀の意義をしっかり理解して、正しい作法で、心を込めて勤めたいものです。

<故人が亡くなられたら>
故人が臨終を迎えられてから臨終勤行までをたどっていきましょう。
この頃は、病院や施設で亡くなるケースがほとんどです。また、葬儀も葬儀社の斎場で行うことがもっぱらになりました。これは時代の流れや環境の変化で致し方ないことですが、それによって、長年住み慣れた自宅にご遺体が戻ることなく葬儀が終わってしまうケースが多く見受けられます。事情によっては仕方ないのですが、できれば、一晩は自宅にご遺体をお戻ししたいものです。
Q1 自宅で遺体を安置する場合、お仏壇の扉は閉めるのですか?
A1 お仏壇は必ず開いたままにしてください。
阿弥陀如来さま(南無阿弥陀仏)は、私たちに人生の意義と目標とをお示しくださっています。その阿弥陀さまがご安置されているお仏壇は心の拠り所として、どなたも朝晩のお参りを欠かさずなさっていることでしょう。このように身近で大切なお仏壇だからこそ、むしろ阿弥陀さまのご尊前、つまりお仏壇の前に、あるいは私たちがお仏壇に向かう形でご遺体を安置し、お仏壇の灯明や仏華もそのままの位置できれいにお飾りしてください。
 自宅でも斎場でも、臨終から始まる一連の葬儀は、阿弥陀さまに対して合掌・礼拝や勤行が行われるのであり、遺体や遺影に対してではないことをわきまえておきたいものです。

Q2 「枕経(まくらぎょう)」とは何ですか?
A2 「臨終勤行(りんじゅうごんぎょう)」というお勤めです。
 枕経というと、何か故人に対してお経をあげるというように受け止められがちですが、本来は「臨終勤行」といって、亡くなっていこうとする人が阿弥陀さまに向かって「私の生涯をずっと照らしつづけてくださってありがとうございました。今こそ阿弥陀さまのお浄土の世界に還らせていただきます」という最後の感謝のお勤めなのです。ただ、死の苦しみにある人がそれを実行するのは難しいので、坊さんや近親者がお勤めするのです。
 坊さんが臨終間際に読経をして死を看取っていくというのが本来の「臨終勤行」です。しかし、「まだ生きているのにお坊さんを呼ぶなんて」という風潮により、臨終勤行がいのち終えた後の行事となってしまいました。
 ご熱心にお寺に足を運ばれている方や朝晩お仏壇でお勤めされている方は、是非ともご臨終近くなられた時は近親者集まって偈文(げもん:正信偈・讃仏偈・重誓偈など)を声高らかに読経していただきたいものです。
 また、臨終後であっても住職がお伺いして、臨終勤行を執り行います。連絡や準備など諸々慌しいでしょうが、その時は手を休めてみな揃ってお勤めしましょう。
 通夜・葬儀に入ると一連の流れや弔問者との応対があり住職とのお話しをする場もありません。できるだけ臨終勤行に住職を呼んでいただき、亡き故人のお話をしたいものです。

<お通夜について>
 お通夜についてお話ししましょう。
「通夜」とは文字通り、近親者や知人が“夜を通して”ご本尊(阿弥陀如来)様の前のご遺体のそばに集い、故人を偲びつつ如来様のお救いを味わう行事です。ですから、参列者も僧侶と一緒にお勤めするのが本来の通夜勤行です。一緒におつとめができなくても、僧侶の読経を心静かに拝聴するのが大切です。
 しかしながら、喪主や遺族が弔問者(参列者)と挨拶を交わす場となってしまっているのが現在の通夜ではないでしょうか。


Q3 焼香時に遺族とゆっくり挨拶がしたいのですが?
A3 読経時の焼香後の挨拶は一礼のみで、遺族への言葉かけは勤行が終わってから行って下さい。
 特に最近では、挨拶の場というのがエスカレートしてもはや通夜勤行ではないような状況も出てきました。

例えば、
(1)読経の最中に参列者同士でザワザワと歓談している。
(2)焼香後の喪主との挨拶で長いこと話かけている。
(3)読経中に、お棺(ご遺体)の所に行き顔をみる。

(1)は他の参列者も一向に心静かになれず、何のために読経しているのかわかりません。
(2)は後ろで焼香する人を待たせることになり、大変な迷惑です。
(3)は(1)(2)と同じく他の参列者にも迷惑がかかり、僧侶も何のために読経しているのかわかりません。 
 喪主(遺族)に声をかけたい、故人の顔を見たいというのは参列者誰しも同じ気持ちです。しかし、通夜や葬式での読経は読経、挨拶は挨拶としてメリハリをつけないといけません。言葉かけや顔を見るのは、読経が終わってから時間をとってじっくりと行うのが参列者としての配慮です。
 通夜の席ばかりでなく、葬儀の一連のおつとめの場は、何十何百人という人が敬虔な気持ちでひとつの目的のために集まられている大切な場所です。いのち模様がはっきり現れている大切な場所です。純粋に、いのち終えた人も誰もがみつめることしかない場所であり時間でもあります。    
 こんな大切な場であるからこそ、お釈迦さまの教えである阿弥陀如来の法を聞かせて頂かないといけません。また、このような場であればこそ、多くの人が目の前のいのち終えた人を偲びつつも、改めて私自身のいのちのあり方を真剣に求めていかないといけません。
 通夜勤行では読経の後、白骨の御文章の拝読そしてご法話を僧侶が致します。参列者の皆様はどうぞ心静かに拝聴し、生死無常の理、いのちの大切さ、そして己(おのれ)がいのちの有り様・行方をじっくりと味わさせて頂きましょう。
 そして、通夜についてもう1点。最近は、通夜に参列したからもう葬式は行かなくていい、という風潮が多くなってきました。葬式はどうしても昼間になるから通夜の方に出やすいのでしょうが、葬式に会わせてもらうのが本来の参列です。その際は、葬式の後は遺族は故人へ最後のお別れ・出棺で慌しくなるので、遺族へのお別れは葬式開始前に済ませましょう。
 

一部引用文献:「浄土真宗本願寺派葬儀規範勤式規範集」(浄土真宗本願寺派勤式指導所編集)、
「仏事の小箱」(管純和著)「お坊さん」今小路覚真著、「仏事のイロハ」末本弘然著








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